〈コラム〉アルバムという宝物

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倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第47回

去る1月17日は、阪神・淡路大震災から20年の日だった。あの地震発生から2週間後に、職場で編成した救援活動の先発隊として神戸に滞在した日々を思い出す。直下型の大地震により、家屋の倒壊による圧死が、犠牲者(不明者を含む6437人)の8割近くにのぼった。実際に古い木造家屋の大多数は倒壊していた。
ある忘れがたい場面がある。神戸市東灘区の一角を廻っていたとき、倒れた平屋家屋の中に一人で入り、何かを探している初老の男がいた。「お手伝いします。捜し物は何ですか?」と尋ねると、家族のアルバムを探しているのだという。一緒に捜しながら、1冊の古いアルバムを見つけ出すと、男はたいそう喜んで両手で抱え、避難所に持ち帰って行った。あの嬉々とした表情が脳裏に焼き付いている。
東日本大震災のときにも、津波による瓦礫の山のあちこちで、捜し物をしている被災者の姿が幾度もニュースで流れた。貴重品や家財道具だけではなく、家族の思い出の詰まった写真やアルバムを捜している人たちが大勢いたという。
神戸学院大学の前林清和教授は、わが大学院の後輩に当たる。彼の専門は武道論なのだが、同大学に就職してすぐに阪神・淡路大震災に遭遇した。以後、彼は専門領域外の国際ボランティア活動や、防災システムの開発に触手を伸ばし、現在の「学際教育機構防災・社会貢献ユニット」の仕組みをつくってリーダーをつとめている。
東日本大震災のあと、彼は週末ごとに学生たちを連れて被災地に出向き、ボランティア活動に従事した。その中でスタートしたのが「思い出復元プロジェクト」である。「あなたの思い出を守ります……」と広告を出した。それは、津波で泥をかぶったり水浸しになった写真やアルバムを被災者から預かり、無償で復元するサービスだった。ほぼ元通りに修復されたアルバムを手渡された人は皆、歓声を発したという。
過ぎ去った日々のいろいろな場面を今にとどめる写真は、個人にも家族にも、かけがえのない宝物である。アルバムを繰るごとに、遠い日の思い出がイキイキとよみがえってくる。
♪いつのことだか 思いだしてごらん/あんなことこんなこと あったでしょう/うれしかったこと おもしろかったこと/いつになっても わすれない
この歌「おもいでのアルバム」の歌詞は長く、7番まである。いまや幼稚園の卒園式ではかならず歌われ、親たちは感動の涙をボロボロ流す。作詞したのは保育園園長でクリスチャンの増子とし氏、作曲は幼稚園園長で天台宗僧侶の本多鉄麿氏である。宗教の世界では起こり得ないこの「融合」は、いかにも日本的ではないか。
記憶は脳の中にあり、思い出は全心身に潜んでいるような気がする。各自の脚色も入っている思い出こそ、生きた証であり、生きた軌跡である。
そんな思い出がたっぷり封じ込められているアルバムを、身近に置いておきたい。ほんとうの宝物とは、そういうものを指すのであろう。
(次回は3月第2週号掲載)

20141214_Mr_Maruyama〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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