〈コラム〉五輪再来という追い風

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丸山敏秋「風のゆくえ」第31回

前回の小欄寄稿から1カ月の間に、日本列島で歓喜がはじけた。申すまでもなく、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定したからである。
前回の招致に敗れたとき、筆者を含む東京都民はハナからしらけていた。政界は混迷し、長期のデフレから抜け出せず、「オリンピックどころではないだろう」と多くの都民は思っていた。
しかし、昨年末の第2次安倍内閣誕生から風向きが変わった。矢継ぎ早に出された「経済再生」の政策(アベノミクス)、確固たる信念が感じられる「教育再生」への熱意等々、国民の期待が高まっていたときに、朗報が舞い込んだのだ。これほどの追い風はめったに吹くものではない。
去る9月22日、筆者が主宰する倫理法人会(会員企業約6万4000社)の全国の役員代表者約1000名が都内に参集した会合に、東京五輪担当大臣に就任(兼務)したばかりの下村博文文部科学大臣にお越しを願った。大臣いわく「7年後の五輪開催はちょうどいいタイミングだ。よみがえった日本で、この国の科学技術力、優美な伝統文化、そして国民の高いモラルを世界に示す絶好の機会である……」。共感の拍手はしばらく鳴り止まなかった。ほんとうにそうあらねばならない。
1964年の東京オリンピックは、有色人種国家においては史上初の開催だった。その成功は、敗戦後に急速な復興を遂げた日本の存在を、世界に強烈に発信する場となった。日本のよみがえりが、そこで成就したのである。
あのオリンピックを、当時10歳の子供だった筆者はよく覚えている。なによりも遠いギリシアで採火されたという「聖火」をひと目見たくて、父親に頼み、国立競技場まで連れて行ってもらった。蒼天に映える深紅の炎を見上げた、あのときの感激は生涯忘れられない。
裸足の英雄アベベ・ビキラ(マラソン)、褐色の弾丸ボブ・ヘイズ(100メートル走)、妖艶なベラ・チャスラフスカ(体操女子)、イルカのようなドン・ショランダー(競泳)、大男のアントン・ヘーシンク(柔道)……。日本人以外のゴールドメダリストのフルネームも姿も、心の奥に焼き付いている。
開会式もよかったが、閉会式はなおよかった。予定と違い、各国の選手が入り混じり、腕や肩を組み合って入場する。別の国の選手を肩車で担いだり、踊りながら行進する選手もいる。それまでの閉会式に例のない無秩序が、一つの世界を印象づけた。その後のオリンピックでも、東京方式が採用されるようになったという。
1896年にアテネで第1回が開催された近代オリンピックは、アマチュアリズムを基本として、古代の「平和の祭典」の復興を目指したものである。ところがいつの間にか、国威発揚のメダル争奪合戦の場と化してしまった。政治が大きく陰を落とした時期もある。
再度の開催となる東京オリンピックは、創始の原点に立ち返り、フェアプレーの精神を発揮して、子供や若者の胸を大きく膨らませる世紀の祭典であってほしい。
(次回は11月第2週号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数

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