〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」
マクロビオティック・レストラン(57) このあいだまでもうかっていたのが、うそのように、もうからなくなりました。だからといって、前のやり方に…
マクロビオティック・レストラン(57) このあいだまでもうかっていたのが、うそのように、もうからなくなりました。だからといって、前のやり方に…
マクロビオティック・レストラン(56) 「この店をつづけてゆくことが、ターキーに対する供養になるのではないでしょうか。彼の夢が何であったか、…
マクロビオティック・レストラン(55) あんなに早く亡くなると知っていたら、訊いておきたいことはいくらでもありました。たとえば、「そうえん」…
マクロビオティック・レストラン(54) 姉夫婦の言うとおりにしました。――結果は言わずもがな、です。利益がガクーンと落ちたのです。利益は売り…
マクロビオティック・レストラン(53) みんなが私のアパートに集まって今後の対策を協議しました。集まったのは、Hの妻の姉とその夫、私の公認会…
マクロビオティック・レストラン(52) 「そうえん」のオーナーHが西海岸で交通事故死したのは七十六年です。道路が凍結していたためにスリップし…
マクロビオティック・レストラン(51) 人柄は大変いいのですが知らない客の前に同意も得ずに座ったり、知らない客の食べ残しを食べるなど、やや、…
マクロビオティック・レストラン(50) ヨーコさんと二人で来たり親子三人で来るときもありましたが、ジョン一人で、ふらりと入ってくることも、よ…
マクロビオティック・レストラン(47) ちょっと目を離したすきに怪しいと睨んでいた女がいなくなったので、あわてて女が座っていた隣の客に「何か…
マクロビオティック・レストラン(46) レジスターはいつも鍵をつけたままにしているので、だれでも簡単に開けられます。私がキッチンにオーダーを…
マクロビオティック・レストラン(45) 警察に呼ばれて行きました。ひとりでは不安なのでヘザーを伴いました。私たちに渡された写真は約五十枚。そ…
マクロビオティック・レストラン(44) 七十年代のアッパー・ウエストサイドは、まだ人通りもすくなく垢抜けしない商店やレストランが軒を並べてい…
マクロビオティック・レストラン(43) スザンヌも忘れられません。ブロンドの美しい女性で、| |はじめはサーカスティックでよく口の回る女くら…
マクロビオティック・レストラン(42) 日本レストランを辞めて「そうえん」に移りました。あるときオーナーに仕事はないかと尋ねたら、三月末で皿…
マクロビオティック・レストラン(41) 七十年代の「そうえん」は、天井からぶら下げられた四張りの丸い提灯、無数の人間に踏みにじられたワイン色…
マクロビオティック・レストラン(40) それほど臆病な人間だから小学生のころから健康に関する新聞記事はよく読んでいました。冷水摩擦を始めたき…
マクロビオティック・レストラン(39) 子供のときから私は死の恐怖に怯えていました。死んだら意識がなくなる。――意識のない世界は、ものすごく…
マクロビオティック・レストラン(38) そのころ私はアッパー・ウエストサイドのアパートから「S茶屋」まで、お金をセーブするためと健康のために…
マクロビオティック・レストラン(37) アメリカに戻ってきたときは、あと半年だけ働いて、もう一度旅行するだけの金さえたまったら出国するつもり…
マクロビオティック・レストラン(36) 見兼ねたHさんが、前に自分が働いていた日本の文房具会社を紹介してくれました。日本から送られてきたマー…