伊原剛志

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海外での仕事は自分の考えを主張するのが当たり前

 「ガチ!」BOUT. 157

伊原剛志

日本で聞いた“ハリウッド流” 

30年以上、俳優として第一線で活躍する伊原剛志さん。2006年には、クリント・ イーストウッド監督作「硫黄島からの手紙」へ出演し、ハリウッドデビューを果たした。同作をきっかけに、海外での映画出演への視野が広がったという。昨年には、日系移民を演じたブラジル映画「汚れた心」で第15回プンタデルエステ国際映画祭・主演男優賞を受賞。そんな伊原さんに、海外に出るということ、また出て分かったことなどお話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇

今や日本映画だけでなく、世界でも活躍されていますが、昔から海外でも演じたいというお気持ちはあったんですか。

伊原 海外の仕事って40(歳)を過ぎてからだから、デビューしてから20年以上たってるんですよ。それまでは何となくというか漠然と日本だけじゃなく海外の仕事もしてみたいなとかは思ってたんですけど。

例えば「硫黄島からの手紙」がターニングポイントだったと思われがちだと思うのですが。

伊原 あれ、自分の中では、もうずいぶん昔の話で、でも(オーディションに)受かった時は覚えてますね。うれしかったです。(同じ映画の中で)二つの違う役を受けて、やりたかった方の役に受かったから。

バロン西役以外もオーディションを受けていたんですか。

伊原 うん、もう一つの中村獅童の役(伊藤中尉)も受けてたの。でも(バロン西の方が)オレにピッタリだと思ったから。良い役でしたね。

僕たちから見てもハマり役というか、ピッタリで、かつインパクトのある役でした。

伊原 でも(結果を)待たされて、待たされて…。(近くにいたマネジャーさんに)なぁ?(笑)

実際にハリウッドの現場を体験してみて、日本映画との違いは感じましたか。

伊原 最初は「うわぁ、こんなことになってんだ」「スゴいなー」みたいな。日本では見たこともないトレーラーがあったり、お弁当じゃなくてビッフェスタイルのランチがあったり。

明らかに違った、と

伊原 でもね、人間、回数を重ねていくと、別にそれが普通のやり方に見えてくるんですよ。結局のところ、カメラの前でどう自分が演技をするかってことだから。ハリウッドであっても、ブラジルであっても、チェコであっても、カメラがあって監督がいて、音声がいて、スクリプター(記録係)がいて。映画の作り方というか、システムは同じですよね。「よーい、スタート」があって、終われば「カット」、台本があって、カメラが回って、良い物が撮れたら「OK」が出て。

どこの国も映画製作の本質は変わらない、と

伊原 だからこそ、自分の中では、いろんな国で仕事ができるんじゃないかっていう思いはありますけどね。そういった意味では違う人種の人と仕事するのは結構楽しいです。ただ大きな違いがあるとすれば…。

はい。

伊原 日本よりも海外での(仕事)の方が自分の考えを主張していかないといけない、するのが当たり前みたいな感じですよね。そのあたりは自分に向いているかな、と。日本だと、ときには自分の主張を抑えないといけない。向こうは逆に自分がどうしたいか、っていうのを常に問われるし、その分、自分の考えを常に持ってなきゃプロとして認められない。そのあたりが自分の肌にはすごく合うなぁって感じはしましたね。だからクリント(・イーストウッド)との最初の仕事も、自分で納得できないことは、こう変えたい、ああ変えたいって台本と違うことをどんどん提案していきましたね。それを受け入れられたり、too muchだって言われたり。例えば「実際一度やってみるから」って言って、スタッフを集めて実演してみたり。一つ一つ、その意味を説明しながらみんなで作っていくというか、それが当たり前の現場でしたね。

明らかに日本と違うその点は伊原さんにとってはやりやすい。

伊原 日本だと、出る杭(くい)を歓迎しない場合もときにはあるじゃないですか。でも向こうはまず、自分が何をやりたいかっていうのを自由に言える。逆に言わない方がおかしい。それって(撮影という)仕事に限らず、普段からどう思ってる? なんで言わないの? って。国自体の体質が僕に合ってると思うんですよね。もともと、僕は自己主張を持ってるから、日本で仕事していて「まぁ、まぁ、いいじゃないですか」って言われたら「何が!? 何がいいんだよ? 説明してくれよ!」みたいなタイプだから。(笑)

伊原さんには合ってたんですね。

伊原 もともとね、自分の育ってきた環境で、人と同じことをするのが大嫌いだったんですよ。思いっきりぶち当たられる、何の遠慮もいらないっていう感じですよね。だから日本人が海外で成功するためには、絶対、自己主張が必要だと思うんですよ。海外に出れば出るほど、逆に日本が見えてくるようになって。日本人ってすごく優秀な民族だと僕は思うんですよ。やっぱり人の気持ちを思いやることができる人種ってなかなか今、世界では見当たらないと思うんです。そこにプラス自己主張があれば、とは思います。でも考えてみれば、日本人は例えば幼稚園のころから実は自己主張しないように教育を受けてるんですよ。まぁ、僕も子供がいるけど、見てるとやっぱり幼稚園で「みんなで同じことをやりましょう」って。それで1人だけ違うことをやってたら「何で、違うことをやるの?」って抑え付けられる。みんなで、一緒に、一緒に、っていう教育。人と違うことをするのはダメなんだって、僕たちも知らない間に刷り込まれているんでしょうね。もちろん、協調性を持つことは良いことで、それが人を思いやる気持ちにつながってはいると思うんですよ。でも、それは海外に出る際に大きなネックになると思うんです。海外で自己主張をしないと埋もれてしまうと僕は思うんですよね。

なるほど。それでは今後の伊原さんの目標は。

伊原 今年50(歳)になるんですけれど、自分の新たなスタートにして、もっと、もっと精力的にやっていきたいなぁと思いますね。やっぱり思いっきり生きていきたいなって思いますね。

在米邦人の読者にメッセージをお願いします。

伊原 海外に住んでる人はみんな自分のことを普通だと思ってるけど(笑)。いい意味で変わってますよね。日本を狭いと感じる人たちが住んでる。自己主張ができる人、というか。しないといけないから。しないと生活できない環境じゃないですか。だからもともとそういう素質がある人たちが住んでるんじゃないのかなって僕は思う。僕の周りはみんなそうです。この間もLAのスタッフたちと飯食ってる時に、みんな絶対変わってるよねって(笑)。日本にいたらちょっと浮くだろうねーって(笑)。でも、海外で日本人が頑張るって並々ならぬ努力が必要だと思うんですよ。それだけで僕はもう本当に敬意を持ちますし、自分も頑張りたいなって思います。

今日はありがとうございました。あ、実はLAに出張に行った際は伊原さんの経営する(お好み焼き専門店)「ごっつい」には必ず寄らせていただいてます。(笑)

伊原 あ、ホントに(笑)。それはありがとうございます。実は前からチャンスがあったら出(店)したいなって思ってて。たまたまやってくれる人とサポートしてくれる人がいたので、それで助けられながらオープンしたというか。

ロサンゼルスにしか出さないんですか。

伊原 ハワイは田舎過ぎて、LAくらいの田舎さ加減が好きなんですね。ちょうどいい。(笑)

ニューヨークにはお好み焼き専門店はないので、ぜひ、東海岸にも…。

伊原 あ。じゃあ、出します、そのうち(笑)。「ごっつい」ニューヨーク店!(笑)

伊原剛志(いはら つよし) 職業:俳優

1963年11月生まれ。福岡県北九州市生まれの大阪府育ち。83年、「真夜中のパーティ」で舞台デビュー。翌年、「コータロー・まかりとおる!」で映画初出演。以来、大河ドラマをはじめ、数々の映画、ドラマ、舞台に出演、活躍。ロサンゼルスに進出しているお好み焼き屋「ごっつい」や「韓すき」を経営、起業家の顔も持つ。2006年クリント・イーストウッド監督による「硫黄島からの手紙」でハリウッド映画デビューを果たす。12年3月、第15回プンタデルエステ国際映画祭で、日系移民を演じたブラジル映画「汚れた心」(原題:DIRTY HEARTS)で主演男優賞を受賞。14年春のNHK連続テレビ小説「花子とアン」では主人公の父親役を演じる。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2013年11月2日号掲載)

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