辻仁成

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子どもからの夢、捨てたくなかっただけ

「ガチ!」BOUT.67

芥川賞作家であり、映画監督、そしてミュージシャンである辻仁成さんが、元ECHOESの伊藤浩樹さん、そして元JUDY AND MARYの恩田快人さん、五十嵐公太さんと共に結成したロックバンド「ZAMZA」。11月、ファースト・アルバム「MANGA ROCK」をリリースし、全米デビューを果たした。ニューヨークで行われたライブ直前、米国への挑戦についてお話を伺った。(聞き手・高橋克明)

 

NJ、NYで全米デビュー飾った
バンド結成と米国への思い

今回は北米において初のライブです。今のお気持ちを聞かせてください。

伊藤 このバンドができて1年半、ドイツ、フランス、韓国と回ってきて、それなりに自信もあるし、今回はどういうふうにアメリカ人の観客に届くのか実体験できるのは楽しみですね。初めてのアメリカっていうプレッシャーもあるけど、それに負けない音楽ができたらなって思います。

五十嵐 今、日本人は世界中、どこに行ってもすごいですよね。日本人がカッコいいなーって思える、そんな時代の中で自分たちのライブをニューヨークでできる幸せを感じてます。頑張りたいですね。

 10代のころからアメリカでレコード出したい、ライブやりたいって思ってたので、それからかなりの時間が経ちましたけど、このメンバーで今回できる事、自分の夢が1個実現したって感じで、それはもう計り知れないくらいうれしいです。ヨーロッパでは、すでにスイスやドイツでファンクラブのサイトが立ち上がってるんですよ。韓国でも認知されつつあるので、アメリカにもつめ痕残していきたいですね。

音楽シーンの大物ばかりが集まったZAMZA、結成までの経緯を教えてください。

恩田 ボーカルの仁(辻仁成)がね、また20年ぶりにロックやりたいなって。彼は作家さんでもあるんだけど、やっぱり世界中で起こってることがこのままでいいのか、音楽に乗っけて届けられるメッセージもあるんじゃないかってね。世代も近いし、じゃあ一緒にやろうかって。

辻さんは作家として映画監督として、そして今回はミュージシャンとしてさまざまな顔を持っていますが、どれが1番「辻仁成」なのでしょう。

 はっきり言って1番楽しいのはこのZAMZAなんですね。で、はっきり言って1番お金にならないのもこのZAMZAなんです。(笑)

確かにCDがまったく売れない時代で、音楽業界はすべて危機的な状況と聞きます。

 でもね、たとえば、明日はライブでニュージャージーのマックスウエルホールに立てる。あそこはフランク・シナトラが立ったとこで、そこにこの年で、新人としてライブができる。それだけでいいんじゃないかなって思うんです。もし若い人がそれを見て、じゃ俺もバンドやろうかなって思ってもらえれば、すごくうれしいし、音楽をやって良かったと思えるし、それ以上でもそれ以下でもない。

セールスだけがすべてではない、と。

 分かりやすく言うとね、野球選手がみんなメジャー(リーグ)に来たがるじゃないですか。ここにいる僕たち、ちっちゃいころから洋楽しか聴いてこなかったんですよ。10代のころの部屋にはアイドルの写真とか1枚もなくて、張ってあったのはレッド・ツェッペリンだったりデュラン・デュランの写真だったり。朝から晩まで英語の音楽だったんですね。特に僕は青春時代に読んだ本もすべてアメリカの文学だったし、だからここで音楽やれるって事だけで何にも代え難いんですよ。

元JUDY AND MARYのお2人は当時とはまた違う気持ちですか。

恩田 そうですね。当時レコーディングでニューヨークに来た時に、ほかのアーティストのライブに行って、やりてえなぁーって(笑)。その時からどうしてもここでやってみたいって気持ちはありましたね。洋楽が好きで、当時は英語で音楽をやるって事はこの国に生まれて、英語で泣いて、英語で笑って、そうじゃないとできないんだろうなあって思ってたから、だから今回は特別な気持ちですね。 日本ではある程度やり遂げる事ができた。じゃあ、世界ではどうだろう、試してみたいなって事です。

ニューヨークの印象を聞かせてください。

五十嵐 初めて来た海外が20年前のニューヨークだったんです。その時に、ここにいつか住みたいなあって思ってて。でもその2年後に来た時は何か違うなって。で、またその3年後に来たらまた違う印象で(笑)。多分、今までで5回か6回くらい来てるんですけど、毎回違うイメージなんですね。多分それは自分も変わっていってるし、この街も変わっていってるし、なんか面白い街ですよね。いつでもこう、チャレンジできる街ってイメージかな。

 (19)97年から98年まで1年間くらい住んでたんですよ。その時にニューヨークの日本の方たちにすごくお世話になって、当時は毎日、「酒蔵」(43rd St, 2nd & 3rd Ave)に入り浸ってましたね。ニューヨークは流れ者の街っていうか出入りが激しいですよね。だから楽しい思い出ばかりじゃないし、悲しくて涙流したことも忘れられない思い出として残ってる。この街に来る人は、みんな何か背負ってきますよね。そのころは(シンガーソングライターの故・)尾崎豊も一緒にいてね。尾崎君とワシントンスクエアホテルの屋上で落書きしたことがあって、探せばいまだに、2人の名前を書いた落書きあると思うんですけど。ビールを紙袋に入れて2人で公園で飲んでね。まあそんな思い出ばかりですね。あの1年は僕にとっては離婚ってものを抱えながら来ていた1年だったのであまりいい思い出がないんですよ(笑)。僕にとってニューヨークって、みんながいうカッコいい街じゃないんです。むしろ逃げてきた街だった。だけど世界中から、みんなそんなふうに逃げてきた人だっていると思うんです。それも受け入れてくれる、そんな街だと思うんです。

このバンドの最終目標地点はどこでしょうか。

恩田 今まで積み上げたものがあっても、やっぱり新しいバンドを始めるっていうことは、またゼロからなんですよ。結局、生きてる限りは、ストリート・ロッカーでありたいと思うんですね。ミュージシャンとしてある程度のセールスは上げてきたけれど、でもロックバンドってやっぱりライブハウスを埋めてなんぼ、みたいな気持ちがあって、うん、結局これからもストリート・ロッカーでしょうね。

 やっぱりこのメンバーが楽しくて、音を出す事がすべてじゃないかなって思うんですね。やっぱりこの組み合わせで生まれるZAMZAの音ってとにかく楽しいんですよ。なんだろう、10代に戻ったような、バンドやろうぜっていう気持ちになれて。この年でまたゼロから始めて、世界各国でレコード出すっていうのは最初からビジネスになるわけじゃない事は分かってやってることだし、ただ、子どものころからの夢を捨てたくなかっただけというかね。今、何か大人が夢を持ってる時代じゃないんで、まず、俺たちがやってみようと。「いい年こいて」って批判する人もいるかもしれないけど、そんな人たちにも「まずやってみなよ」って。フランスに住んでる僕から見ると、何か日本は今、若い人たちの間で自殺がブームみたいになってるように見えて、それくらい夢がない国になってきてしまってる。そんな日本の中で少なくとも、こんな親父(おやじ)連中が10代相手に音楽やってるぞって(笑)。それは奇跡みたいな事だと思うし、世界中のお客さんに感動してもらえることに、われわれだけでなくスタッフや応援してくれるみんなが達成感を持つことができたら、それを初めて「夢」って呼んでいいんじゃないかなって、思いますね。

◎インタビューを終えて

日本の音楽シーンを代表する2つのユニット。ECHOSとJUDY AND MARY。その2つが合体してできたグループは既成の概念を壊す新たなムーブメントではなく、彼らが子どものころから実現したかった「好きなアメリカで好きな音を出す」という至極、私的で魅力的な「ロックバンド」でした。今回プロデューサーとして、またキーボードとしても参加するJohnさんが取材終わりにこう語ってくれました。「何十年も音楽に携わった仕事をしている4人なのに、全員、音に対してすごく気持ちがピュアなんですよ。あんまりビジネスの事を考えてないというか(笑)。ここ最近、自分は音楽をビジネスとしてとらえる事が多くなってきちゃってたので、それがすごく新鮮でひかれましたね」

ZAMZA(ザムザ)

職業:ロックバンド

ボーカルの〝Zinc White〟(辻仁成)、ベースの〝Banshee Aliouxce〟(恩田快人)、ドラムの〝KOHTA〟(五十嵐公太)、ギターの〝Hiroki〟(伊藤浩樹)で結成。ことし5月にデビュー。ドイツのベルリンを皮切りに、ケルン、パリ、ビルパント、バスティーユ、釜山、東京、大阪、名古屋、福岡、ニュージャージー、ニューヨークでライブを行い、11月、全米で「MANGA ROCK」を発売した。公式サイト:zamza.info

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2009年12月19日号掲載)

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