〈コラム〉大嘗祭と政教分離

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歴史力を磨く 第33回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

本年の御代替わりに伴う大嘗祭について、秋篠宮殿下が昨年のお誕生日会見の席上為されたご発言は、天皇・皇族と政治との関わり方と大嘗祭を巡る政教分離の問題という二つの点を再浮上させた。

大嘗祭に限らず宮中祭祀そのものが、国家と国民の安寧慶福を祈るという意義を有する。ただそれらは宗教色が強い行事であるとして、戦後大嘗祭を除く宮中祭祀には、天皇ご一家の私的活動費とされる「内廷費」が充てられてきた。それらの祭祀への支出が憲法の政教分離原則に抵触しないようにとの配慮からであるが、そこから今回の問題も生起している。では、その因となっている政教分離原則とは何なのであろうか。

現行憲法にある政教分離原則(第20条③項及び第89条)は、昭和20(1945)年12月15日付でGHQが日本政府に向けて発した「神道指令」の法制化に過ぎない。米国軍は先の大戦中に経験した日本軍の精強と勇敢の精神的根源は、いわゆる「国家神道」にあると判断し、占領政策を通して日本人のこの信仰心の壊滅を図った。その具体的な手段が「神道指令」であった。この指令の効果を恒久化するために、GHQが作成した日本国憲法草案にこれを盛り込むべく、「神道」も宗教であるとして、国の宗教教育と宗教活動の禁止を盛り込ませたのである。しかし「信教の自由」は憲法20条に規定されており、その条項とも矛盾するものであった。

そもそもこの政教分離原則とは、欧米キリスト教文化圏諸国で、教会による国政への介入を排除するために生まれた立法的措置であった。キリスト教文化圏では、帝室・王室が教会の国政介入によって苦杯を舐めた歴史的な事例が多くあったからである。それに対し日本では、皇室と宗教界、特に神社神道との関係は、常に尊崇と保護という和合の歴史を辿ってきた。

国家行動に内面的裏付けを与えてくれる要素は宗教性である。宗教性とは、全ての他者という存在を自己自身に対するのと同じ様に慈しみ、大切にする心情であって、一神教にみられるような極端な宗教上の信条のことではない。日本人にとって、その宗教性は祖霊崇拝の信条であり、それは皇室の宮中祭祀の信仰と根が共通である。宮中祭祀は国民の先祖祀りの儀式の代表と言ってもよく、その意味でも皇室は国民の宗教性を統合する象徴でもあり続けてきた。そしてこの宗教性には各種の一神教の教会組織に見られる政治的性格はない。即ち、そもそも政教分離という思想を適用する対象ではないのである。

皇位継承という皇室・国家にとっての大事に不可欠の大嘗祭は、一世に一度の儀式として古来より行われてきた即位に伴う儀式の一環である。日本の皇室を世界の君主政治の範例たらしめている特質は、この祭祀の宗教性とそれを形に現して見せている伝統的な美の様式のうちにある。日本はこの伝統を守り抜いていかなくてはならない。

(次回は1月26日号掲載)

〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)
ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。

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