〈コラム〉「信用」と「嘘」

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歴史力を磨く 第20回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

日本には、「噓つきは泥棒の始まり」という諺がある。子供の頃から親や先生に厳しく教えられたこともあって、多くの日本人に広く知られた諺である。一方、欧米でも嘘は禁じられている。絶対に嘘をついてはいけないと厳しく教育されているし、大人相手のビジネススクールなどでもそう教えている。しかし、嘘がなぜいけないのか、その理由については日本と欧米では大きな違いがある。

日本では「軽い嘘がクセになって、やがては泥棒のような悪い事もするようになってしまうから嘘はいけない」と教える。謂わば道徳や倫理意識涵養のための教えである。一方欧米の考え方は、「この人は全体に嘘をつかない」という信用を獲得するための努力であるという。そこには、より大きく決定的な嘘を効果的につくために、普段の小さな嘘で信用を傷つけてはならないという、暗黙の教えがある。

英国国営放送のBBCは、正確で公平な報道をすることで、世界的に信用を得ている。第二次大戦中でも、他の交戦国のように、自国に都合の良いプロパガンダ報道はやらず、事実のみを伝えることに定評があった。そのため、ドイツ占領下のフランスやオランダ、そして敵国のドイツまでもがBBCを聴いていた。「今日ドイツ軍の攻撃で、イギリス軍が壊滅的な打撃を受け、何千人が死亡した」というような、自国に不利な戦況、被害の程度までも正確に伝えたことから、益々信用が高まっていた。

そしていよいよ大戦末期のノルマンディー上陸作戦決行の日(1944年6月)を迎える。ここでBBCは、一世一代の嘘の放送を流した。「連合国は、フランス北部のカレーの海岸に上陸する」としか考えられないような報道を「一度だけ」流したのである。BBCの放送は、既に絶対の信頼を得ていたことから、これを聞いたドイツ軍は「まず間違いないだろう」として、戦車師団をベルギー近くのパ・ド・カレーというカレー周辺に配置し、迎撃の体制を整えた。その結果、はるか西側にあるノルマンディー地方ががら空きとなり、そこに30万人の英米連合軍が上陸を果たしたのである。

この時、BBCが故意に嘘の情報を流したことは、戦後明らかになった。ただそれは、もしこのノルマンディー上陸作戦が失敗していたら、あの大戦の帰趨もどうなっていたかわからない、まさにイギリスにとって国運を賭けた瞬間での報道であったのである。「100年に一度、決定的な嘘をつくために、99年は本当のことを言い続けよ」というのがイギリスの国家戦略の伝統と言われるが、それはこの時見事に成功した。

この逸話は、現代の国際政治やビジネス交渉の世界でも、自らの「情報発信」姿勢の甘さ・厳しさを問うに充分な教訓となると思うのである。

(次回は7月14日号掲載)

〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)

ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。

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