〈コラム〉靖国と文明の裁き

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歴史力を磨く 第35回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

本年が靖国神社創建150周年に当たると前回のコラムで説明をした。この靖国神社は、国家の為に斃れた英霊を祀る施設であるが、先の大戦後にこの靖国神社を焼却しようという計画があった。

昭和20(1945)年9月2日午前9時、東京湾内の米戦艦ミズーリ号艦上で行われた停戦合意文書調印の結果成立したのは、ポツダム宣言の列記する条件に双方が合意した結果の事態として、正しくは「停戦協定」と呼ぶべきものであった。しかし米国はこの協定書を狡猾にも「降伏文書」と呼んだ。

実質上同じ様なものではないかと思われるかもしれないが、「停戦協定」と呼べば、その遵守は双務的な形をとることになり、ポツダム宣言に謳われた降伏条件が日米双方を拘束するものとなる。しかし「降伏文書」と呼べば、そこには敗戦国が戦勝国の意志に従属することを約定した誓約書という意味が強くなる。そして米国の狙いはまさにそこにあった。

当時米国は、日本が二度と米国の世界戦略の妨害者とならないように、物質・精神両面からの徹底的武装解除を達成することを目指した。物質面での武装解除はポツダム宣言の条項に明記されている。しかし、精神面での武装解除の方策は、ポツダム宣言には規定されていない。この時、米占領軍は「無条件降伏」を勝ち取ったのだという思いから、敗者日本は勝利者たる米国からどんな扱いを受けようとも、一言も抗弁できる立場にはないと考えた。それが靖国神社を焼却して、日本人の抵抗心を完膚なきまでに叩きのめすという発想に繋がった。

この横暴な計画の実現を阻止したのは、終戦直後から昭和27年まで日本駐在のローマ教皇使節代理を務めていたイエズス会のブルーノ・ビッター神父である。マッカーサー元帥は占領軍司令部内で多数意見となっていた靖国神社の焼亡計画について、キリスト教会の意見も聴取しようとビッター神父の意見を求めた。その時神父は以下のような回答をした。

「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家の為に死んだ人々に対して敬意をはらう権利と義務があると言える。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる宗教を信じる者であろうと、国家の為に死んだ者は全て靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言する」(『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ)

この中の「自然の法に基づいて考える」としたのは、聖職者でありながら安直にキリスト教文明、即ち戦勝国の論理を基準に断ずることを戒める神父の信念であり、それは「自分の文明で他の文明を裁いてはてはならない」というものであった。
東京裁判の為に来日したオーストラリア人裁判長ウェッブに対しても、神父はこう言い残している。「我々にとって文明とはキリスト教である。ヒューマニズムと我々が呼んでいるものは、我々の文明でしかない。あなたが裁くものもやはり一つの文明である」。
自らの文明で他の文明を裁いて生まれるのは、憎悪や怨恨に他ならない。そのことを神父の言葉は教えている。

(次回は2月23日号掲載)

〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)
ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。

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