〈コラム〉どこで考えるのか

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丸山敏秋「風のゆくえ」第11回

1961年に85歳で亡くなったスイスの精神科医カール・グスタフ・ユングは、独自の深層心理学を築き、多方面に影響を及ぼした。
そのユングが50歳になる前に、ニューメキシコ州のプエブロ・インディアンの村を訪問したことを『自伝』に書いている。そこでオチウェイ・ピアノという村長と話をしたとき、彼はユングに向かって次のように言った。
――「白人たちはいつも何かを欲している。彼らはいつも落ち着かない。じっとしていない。われわれインディアンは、白人たちが何を欲しているのかがわからない。われわれは彼らを理解しない。彼らは気が狂っているのだと思う…」
おもしろいことを言うと思ったユングが、どうして白人は気が狂っているのかと尋ねると、村長はこう答えた。 「だって彼らはアタマで考える、と言っているではないか」
驚いたユングはさらに尋ねた。 「もちろんその通りだ。では君たちはどこで考えるのか?」
すると村長はすかさず心臓を指したそうだ。
興味深い逸話である。考える中枢がアタマにあるとするのは、近代人として教育を受けた者が、脳の機能を知識として知っているからだ。プエブロ・インディアンが脳のことを少しは知っていたとしても、彼らの身体感覚からすれば、考える中枢は脳ではなく、心臓でなければならなかった。
想像をたくましくしてみよう。もしユングが江戸時代の日本に来て、武士のだれかに同じ質問をしたならば、どんな答えが返ってくるだろうか。おそらく「われわれはここで考える」と、その武士はハラ(腹・肚)を指さしたであろう。日本にはハラを大切にする文化が脈々と伝わり、心の中枢はハラにあると考えられてきた。
日本にはまた、「手で考える」という文化もある。今年の元日のNHK番組で、自動車メーカーのホンダがアメリカの工場で小型ジェット機を生産するための研究に成果を上げたと紹介されていた。ジェット機の両サイドのエンジンは胴体の後部に取り付けるのが通常だ。しかしそれだと、どうしても室内を広くできない。エンジンを両翼に付ければ広くなるのだが、空気抵抗から不可能だとされてきた。
日本の技術者たちはこの難題に挑戦し、見事に理想を実現したのである。航空ショーで紹介したところ、約4億円のジェット機の注文がいきなり100機以上も殺到したという。
その常識はずれの技術を開発して、今やホンダ・エアクラフト・カンパニーの社長に就任している藤野道格さんが言っていた。――「日本人が自分の手で考えるというところが、アメリカとは違っているのですかね」と。
さてこれからの時代、アタマだけで考えていてよいのだろうか。 (次回は3月10日号掲載)

maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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