〈コラム〉驚くべき医療の逆説

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第127回

人類の生存を脅かすものには、戦争、飢餓、自然災害、そして強毒性の感染症がある。ただし、全地球的な脅威となると、感染症がもっとも怖ろしい。交通網の発達によって、その脅威は格段に増した。昨年からのコロナパンデミックの場合は、IT時代ゆえに、真偽不明の情報の氾濫が大混乱に拍車をかけてしまった。

もちろん病気の場合、かなりの個人差がある。風邪をひきやすい人と、滅多にひかない人がいる。ガンに罹りやすい人もいれば、老年になっても罹らない人がいる。体力や体質の違いは、遺伝だけではなく、生活習慣に左右され、精神的な要因も大きい。節制を心がけ、明朗快活でクヨクヨしないタイプの人に、病魔は近づけない。

先進諸国はここ100年ほどで、衛生環境や生活水準がどれほど向上したことか。しかしながら、病人がいっこうに減らないのはどうしたわけか。まだまだ病院が足りない、医療従事者をもっと増やせと騒いでいる。今回のコロナパニックでは、日本の医療体制の脆弱ぶりが露わになってしまった。

2007年に財政破綻した北海道夕張市で、医療に関して思いがけない事態が起きた。それまで総合病院として機能していた夕張市立総合病院は診療所のレベルに縮小されてしまった。ベッド数は171床から19床へと9分の1に減少。それまであった外科とか小児科とか、透析医療などはすべてなくなり、CTなどの検査機器も使えなくなった。これでは医療崩壊に等しい。

ところが、である。実際は死亡率が上がることも、平均寿命が下がることもなかった。劇的に変わったのが死因で、日本人の死因の多くを占める心臓や脳疾患や肺炎が夕張市では大幅に減り、増えたのはなんと、老衰だった。しかも病院で息を引き取る人が減り、亡くなるまで自宅で暮らす人が増えた。救急車の出動回数も5年間で3割ほど減ったという(森田洋之著『医療経済の嘘』ポプラ新書に詳しい考察がある)。
なんという逆説だろう。大きな総合病院が無くなることで、市民の健康レベルは向上したのである。それまで医療は、いったい何をやってきたのだろう?

かつて大きな病院は老人の「たまり場」と揶揄された。待合室にはヒマをもてあましているお婆ちゃんたちが朝から陣取っている。そこでこんな会話があったという。
「ハナさん、今日は来てないねえ」
「そうそう、風邪をひいたらしいよ」
──いったい何のための病院なのか。
他方、ちょっと体調がすぐれないと、すぐに病院に行ったり、売薬を買いに走る人がいる。それが条件反射的な習慣になっている人が少なくない。

病気に対する不安はわかるが、「医療信仰」「薬物過信」が病気をつくり出しているという指摘は前々からある。たとえば血圧が高ければ、直ちに降圧剤を与えるのはいかがなものか。高血圧は症状であっても病気ではない。
病気を治すのは、医者でも薬でもワクチンでもなく、自分自身の生命力である。よほどの基礎疾患を持つ人は別として、自分の健康は自分で守る気概と工夫がなければ、真の健康は得られない。

(次回は11月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『経営力を磨く』(倫理研究所刊)。

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