〈コラム〉死にとうない

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第145回

江戸時代後期の九州博多に、仙厓義梵(せんがい・ぎぼん)という臨済宗の禅僧がいた。88歳という長寿を全うした彼は、飄々とした禅画をたくさん残し、老いた人たちの姿をこう言い表している。

──「しわがよる、ほくろができる。腰が曲がる、頭ははげる、ひげは白くなる。手は振れる、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。身に添うは、頭巾・襟巻・杖・眼鏡・たんぽ・温石・しびん・孫の手。聞きたがる死にたがる、淋しがる、心はまがる、欲ふかくなる。くどくなる、気短になる、ぐちになる、出しゃばりになる、世話やきたがる。またしても同じ話に子を誉める、達者自慢に人はいやがる」

その仙厓和尚はいよいよ臨終というときに、弟子たちに向けた遺言(遺偈)を残し、「死にとうない 死にとうない」と書いた。あまりにストレートな言葉に仰天した弟子たちは、何か有り難い一句を加えて欲しいと頼むと仙厓は、ならばこうじゃと付け加えた──「本当に 本当に 死にとうない 死にとうない」

この逸話、ウソかマコトかは知らないが、大死一番と奮起して悟りをひらいた禅の高僧だからこそ吐ける、本音の気持ちなのではないか。一休禅師もそうだった。

筆者の父親の丸山竹秋は、倫理研究所という社会教育団体の理事長を44年も務めた。60代の後半に脳内出血を起こして集中治療室に入る経験をしたことから、それまでの死に対する思索をいよいよ深めていった。そして到達したのが、「死は生まれる前の故郷に帰る喜び」という心境だった。

しかしそう達観できても、現にこの世に生き、まだこの世でやりたいことがあるのならば、あの世に逝くのを拒む気持ちが出るのは当然だろう。死について語る世の中の言説には、死の恐怖など微塵もないとか、いつでも平気で死ねると豪語するものがあるが、本当だろうか。飾ることを嫌う父は、死に対して達観すると共に、次のような口語の短歌も残している。

 救急車この真夜中によく通るあの世に行くのは断じていやだ

この歌を作ってから数カ月後に、父は救急車に乗せられ、あの世への旅路に着いた。「断じていやだ」という言葉に、死期が近づいてもなお頑張って生きようとする、哀しいまでに強い思いが感じられた。

日本が直面している超高齢化社会は、「多死社会」でもある。団塊世代(1947年から3年間に生まれた人たち)がすべて後期高齢者入りする2025年になると、毎年の死者は150万人を超え、2040年には170万人にもなると推定されている。すなわち毎年の死亡者が出生者の2倍を超えてしまう。

そのような社会での死は、「突然の死」よりも「長くて緩慢な死」が圧倒的に多い。老化に伴うがんや慢性疾患、老衰などで死に直面する人が急増していく。否が応でも長いこと死と向き合いながら生きねばならない。死に対する達観を求めつつ、同時にあくなき生の情熱を燃やす生き方が、望ましいように思えるのだが。

(次回は5月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。

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