【連載】おばあちゃま、世界を翔ぶ-4 亡命地、インドのダラムサラへ

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龍村ヒリヤー和子〜情熱とコンパッションの半生記〜

(左から)ダライ・ラマ14世と筆者

(左から)ダライ・ラマ14世と筆者

第4回 ダライ・ラマ14世との出会い(2)

1972年の夏、インドのデリまで飛行機で飛んで、そこで迎えを待ちました。しかし空港で待っても待っても誰も来ない。「ダラムサラっていうところに行きたいのだけれど…」、とお巡りさんに聞きました。突然日本人のような人が走ってきて「僕はアメリカ人を待ってるんだけどその人が到着したら一緒に連れてってあげられるから」というので二人で待つことにしました。1時間ぐらい待って、どうしたのかなと思って待ち人の名前を聞いたら3歳の女の子と来るミセス・ヒリヤーという人だって。その人が実は私のお迎えの方だったの。アメリカからの来客が、まさかアジア人女性だと思っていなかったんでしょう。

次の日、電車でカルカッタ駅に着き、その後、パタンコという町まで行き、次はバスに乗り換えてダラムサラという村に着いて、下部ダラムサラから上部ダラムサラまで6時間ほどかかったかしら。モンスーンのせいで道もなくてね。最後は歩くしか行く手段がなくて、インドの兵隊に助けられて昔の英国貴族の古いサマーハウスに着きました。くったくたになって到着した時には、ニューヨークを出発してから80時間以上が経っていました。

まったく外国には通用しない「民族オペラ」

到着して初めてチベットの食事をいただき、標高3000メーター以上高いところでしか生きられないヤックと言うバッファローのような毛だらけの牛のような動物のメスのミルクで作ったチベットのしょぱいバターティーを飲んだのもその時初めてでした。その夜はサマーハウスとは言っても、ベッドなどなく麦わらを敷いた床にじかに寝ました。翌朝、チベットの「民族オペラ」の人たちにやっと出会えたんですが、懸命にお稽古していました。

1枚の写真でしか見たことのなかった彼らのパフォーマンスを実際に見て、これでは外国では通用しないと確信しました。そこで、次の日から題目を選び、1曲が11時間も延々と続く題目をどうしたら外国人にショーとして面白く受け入れられるかを考え、演出にはたいへん苦労しました。

ダライ・ラマ14世と直接交渉

滞在して2〜3日経つと、第1秘書さんがいらして、ダライ・ラマ14世のところに連れて行ってくれました。そこで初めて「チベット・オペラをニューヨークへ、そして世界に紹介したい」という話を直接しました。すると、ダライ・ラマさんは、「でもニューヨークに帰ったらあなたのボスがNOと言うでしょう?」とおっしゃったけれど「日本人だけど、女性だけど、私がボスです」と説明しました。そしたら彼は“わはは”とそれはそれは大きな声でお笑いになりました。その時、私と彼の間に一生続く深い絆が生まれたんです。

チベット人の“精神”

滞在中は時々お会いして、色々なお話をしました。彼は「チベット人は外部からのコンタクトが無く、今まで何も知らなかった。それは私の過ちでした」とお話になり、将来は一人ひとりのチベット人が、3か国語、チベット語、英語、そしてヒンディー語(又は移民する国の言葉)を自由に話せるような教育をしたいと話されました。以来、チベット人が国際人になれる教育に力を注がれているんです。また、チベットは鉱山資源が豊富で、金の石が川にでもゴロゴロしていて、これからチベットの資源は全部を中国が取っていくので、彼らは簡単にはチベットは離さないだろと政治的見解も話してくださいました。お話の中で、一番印象的だったのが、人間である限り、全ての子供は、“精神”“全ての生きとし生きるものへの思いやりの心”“Compassion(思いやり)の精神”を持って生まれてきます。それが3歳ぐらいから自己が生まれ、それが失われていくようです。ところがチベット民族は歴史的にこれをずっと保持し続けられてきました。これからのチベット人がどうなっていくかということを気をかけていらっしゃいました。

欧米ツアーを敢行

ニューヨークに帰国してから、チベットのことは何にも知らないヨーロッパ各地でのブッキングやプロモーションには苦労しましたが、制作費なども私が出して、やっと3年後(1975年)に北米で3週間、ヨーロッパで3週間のツアーを組み上げました。

(次回は11月4日号掲載)

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龍村ヒリヤー和子(たつむら・ひりやー・かずこ) 東洋医学医師、人道活動家、Gaia Holistic Inc代表。
兵庫県宝塚市生まれ。音楽家にあこがれ幼少時よりピアノに親しみ、桐朋学園大学を卒業するが、1961年に渡米しボストン大学・ニューヨーク大学を卒業後、音楽家ではなく国際興行主としての活動を開始、グローバルな舞台芸術と文化交流の先駆者なる。世界各国の首脳やセレブリティーが関わる歴史的記念イベントの制作・演出などにも関わり、公式な外交関係のない国家間の文化交流促進にも寄与するなど多大な貢献を重ねてきた。世界中で毎年1年2000回のプロデュースを手掛け、148カ国以上を訪れ、何度も表彰されている。
2000年より東洋医学の医師に転身、01年ガイア・ホリスティック・サークルを設立し代表に就任、07年には出版社「心出版」を立ち上げる。世界各地の避難民、戦争犠牲者、ホームレスや家庭内暴力の犠牲者などの救済を行うなど人道的活動においても多大な貢献を続けており、世界各地での慈善事業に従事する他、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と共にチベット孤児の教育活動に従事している。遠赤外線温熱療法にテラヘルツを組み合せた独自なホリスティック療法は世界的に評価されている。今は世界の会議から招待され、発表、教育をしている。
01年、9・11の米同時多発テロ悲劇のすぐ後にガイア・ホリスティック基金を創設。「212-799-9711まで、お電話ください。感謝合掌 和子」

(2017年10月21日号掲載)

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