〈コラム〉いまだ木鶏たりえずとも

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第73回

3月の大相撲春場所で、西の横綱稀勢の里が2場所連続2度目の優勝を飾った。しかも13日目の取り組みで左の肩や胸を負傷し、痛々しいテーピング姿で出場しての逆転優勝。新横綱の強い心の姿勢に国民は感動し、勇気づけられた。

人はあるとき一気に成長することがある。ここ一番で力が出せず、幾度も綱取りに失敗する弱さが稀勢の里にはあった。大関昇進後31場所での優勝とは、史上最も遅い記録である。ところが初優勝を決めて横綱に昇進すると、別人のようになった。堂々たるあの風格は、いまや白鵬を凌ぐものがある。

優勝後の土俵下のインタビューで、決定戦について問われた稀勢の里はこう述べた。「自分の力以上のものが最後に出たので、本当にあきらめないで最後まで力出してよかったです」。新横綱の場所について問われると、「今までの相撲人生15年間とは全く違う場所でした。横綱土俵入りもそうですし。今は疲れてるのが一番ですけど、見えない力をとても感じた15日間でした。今日の千秋楽にあり得ない力が出たので、また一生懸命けいこしていきたい」。

「自分の力以上のもの」「見えない力」「あり得ない力」― ―そうした「力」に稀勢の里自身が驚いている。猛稽古で鍛え上げた頑丈な体から発する力だけではない。角界の期待も、全国のファンの願いも、両親の祈りも、すべてが新横綱の力になっていた。その力に気押されたのか、敗れた照ノ富士は二番とも浮き足立っていた。

かつて名横綱の双葉山は連勝が69で止まった時、「いまだ木鶏たりえず」と安岡正篤(陽明学者・思想家)に打電したという。中国古典『荘子』の達生篇には木鶏についての次のような話が載る。

― ―闘鶏を飼う名人の紀渻子(きせいし)が、斉王のために闘鶏を育てた。10日経って王が問う。「そろそろ闘わせてはどうか?」「まだまだです。敵も見ていないのに気の立つところがあります」。さらに10日後に王が問うと、「まだいけません、敵の影が見えただけで応戦しようとするところがあります」。また10日経って王が問うと「まだですな。相手に向かうところが強すぎて自分の気を蔵するに至りません」。そしてまた10日後に問われた紀渻子はこう答えた― ―「そろそろよろしいでしょう。他の鶏が鳴こうとも少しも動かされず、一見すると木鶏(木彫りの鶏)のように、その徳は完全なものとなりました。いかなる鶏も相手にならず、見ただけで逃げ出すでありましょう」と。

ここでは「道」を体得した真人を木鶏に喩えている。何者にも惑わされず、戦わずして勝つだけの徳を備えた人物。双葉山ほどの大横綱でも、連勝が止まったときに、いまだ木鶏に及ばないと述べたのである。むろん稀勢の里もそうであろう。

無敵の木鶏を目指すのはよいとしても、ときには負けたり、怪我をしたり、涙を流す横綱の方が人間的な魅力がある。これからさらに修練を積み、自分以上の力や見えない力を発揮しつづけていけば、稀勢の里は今以上に強くなれる。すでに有する風格に、気品が伴うようにもなろう。楽しみだ。

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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