海老蔵さん、初のNY公演「気を引き締めてやりたい」

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カーネギーホールで歌舞伎舞踏を披露、大盛況で幕

歌舞伎役者の市川海老蔵さんは3月1日、音楽の殿堂ニューヨークのカーネギーホールで初の歌舞伎舞踏を披露した。本公演は海老蔵さん率いる、歌舞伎や能楽といった日本伝統芸能を披露する舞台企画「グランド・ジャパン・シアター」の一環で、これまで東京、大阪、そしてアラブ首長国連邦(UAE)のフジャイラ首長国でも行われ大盛況に終わった。

 

市川海老蔵

講演会前の記者会見で答える市川海老蔵さん

カーネギーホール公演に先駆け、2月27日には市川海老蔵さんを招いた講演会が日本クラブ(145 W 57th St)で開催され、カーネギーホール公演に向けた意気込みや歌舞伎の伝統、自身のキャリアなどについて語った。

 

気を引き締めてやりたい

講演会前の記者会見の全容

ニューヨーク公演に向けて、今のお気持ちは。

市川海老蔵 近年はアジアが多く、ニューヨーク、というかアメリカ合衆国で私個人がやるのは初めてなんです。父が確か、團十郞襲名の時に、メット(メトロポリタンオペラハウス)で襲名したんです。父の思い出としては、「暫(しばらく)」という歌舞伎十八番の演目をしたそうなんですけど、花道を出てったら、自分よりも大きい人があとから入ってきて気まずかった、みたいな話があって、私もいつかニューヨークでやってみたいなっていうか、アメリカの中で歌舞伎をしてみたいなって思っていました。ニューヨークというのは憧れの場所でもありますし、そういう意味でそういうところで歌舞伎ができるっていうのと、また、その歌舞伎と狂言と、またお能とこうやってご一緒させていただきながら公演ができるというのは本当に、日本の文化としてはありがたいことだなと思って、気を引き締めてやりたいと、そんな感じですね。

今回のニューヨーク公演で、観客の皆さんに一番伝えたいことは?

市川海老蔵

講演会の模様。右はインタビューをする久下香織子氏(写真提供:日本クラブ)

海老蔵 そうですね、アメリカはイギリスから独立して239年、1786年7月4日ですっけ? ですよね? ですからちょうど240年という年を迎えようとしているんですよね。お能というものやお狂言というものは約600年、歌舞伎というものも、約400年強と。そして市川團十郎家、私の家で言いますと、イギリスからアメリカが独立したのが、5代目市川團十郎が35ぐらいの時ですね。という意味で、歴史という意味だと非常に日本の歴史とアメリカの歴史というのはなかなかこう噛(か)み合わないかなっていうところがあるんですけれども。その日本の奥ゆかしさを全てを見せるというわけではなく、お能、風姿花伝書というか、世阿弥の言葉にあるように、「秘すれば花」と言いますか、そういったものをお能のみに限らず、歌舞伎もその「秘すれば花」っていうようなものを、日本文化を通して観てもらえたらいいな、というふうに思いますね。

カーネギーホールで公演されますけれども、カーネギーホールを舞台に選んだ理由があれば教えてください。

海老蔵 選んだと言いますか、そんな偉そうなことではなくて、お話をいただいて、カーネギーホールとご縁があったということで、私からそういうおこがましく選んだというわけではなく、導かれた感じで、カーネギーホールということでございます。

近年海外公演を積極的に行って、海外の方へ日本文化を広める活動を積極的に行っておられますが、その手応えはいかがですか。

海老蔵 そうですね…。手応えというのは、正直に言うと、のれんに腕押しみたいな。やっぱりその感じでした、今までは。ですが、近年やらせていただく上で、それじゃあいけないなって感じまして。特にパリの海老蔵襲名での公演や父・團十郎と行ったオペラ座の公演などは、非常に、その場では非常に良い結果をもたらしたなとは思うんですけれども、海外公演をすることが、歌舞伎にとって本当にいいことかっていうのをよく考えたときに、非常に大事なんですけれども、やっぱり一番大事なことというのは、海外公演の先なんですよね。海外で公演をさせていただいて、例えばこの間、中東に行かせていただいたり、その前はシンガポールに行かせていただいたりしたんですけれども、そこで見てくださった現地の方々が、また日本で観たいなって思っていただくことがやはり、海外公演の大きな目的であって、海外でやるからなんかちょっとかっこいいなとか、クールだなとか思われるのはちょっと、二の次なんですよね。それで、その方々が日本に来たときの受け皿の準備というものにやっぱり入らなければならない、というのが実は海外公演の一番の目的になってきたということで。手応えというものは、実質なかなか感じることはできないですね。でも、いろんなところの国に行くことによって、“それらしきもの”は毎回感じます。“手応えらしきもの”。

ニューヨークに先駆けて行われた、フジャイラでの公演のお客さまの反応は、いかがだったでしょうか?

海老蔵 フジャイラの公演は、中東というとドバイとかアブダビとかそういう印象ですけれど、フジャイラというのはオマール湾に属していてですね、ペルシャ湾ではなく、ホルムズ海峡か、あそこの外なんですよね。つまりまだ、未開の地と申しますか、UAEにある七つの大きな国の中の一つがフジャイラということなんですけれども、そこの大王子と大王女、王女という方が非常に歌舞伎、というか日本文化が好きだということと、また王子という方がなんだか知らないですけど私に、興味というか、「あいつを呼んでみようじゃないか」というようなことで、ご考案賜(たまわ)ったんですけれども、んーやはり文化の違いというのはあるんですけれども、感じるところはあるんだなと、共感するところはあって。王子とも、少しお話させていただいたんですけれども、大体同世代なんですよね、私と王子が。それで、やっぱり彼が考えていることというのは、教育だったりとか、フジャイラという国がやっぱり中東の中でもまだ有名ではないということの中で、本当に教育に対して非常に考えている、文化に対して非常に考えている、ということで、そういう部分では非常にその、王子との会話というのは公演の後と公演の前では大きく違ったので、そう意味ではその、逆にそこは手応えがあったな、と。今後もフジャイラでの公演は、中東での公演は、ご縁があれば続けていきたいなあと思いました。

前回はフジャイラ、今回はニューヨークと、公演をされますけれども、海外公演にあたって何か特別な工夫というものはあるのでしょうか。

海老蔵 ありますよね。それはやっぱり時間ていうものとか、表現方法とか、多少変わってきてしまいますよね。そのフジャイラの場合は、現場に入ってから大きく変わったことがありましたし、シンガポールもやっぱり想定していたものと現場に入って変わったものもありましたし、それこそ先ほど言ったパリでの公演もそうでしたし、ロンドンでの公演も、非常に現場に行ってから変わったこともありましたし。今回私がやらせていただく「(春興)鏡獅子(かがみじし)」というのは、父と一緒にモナコ公演に行ったときも「鏡獅子」だったんですね。そのときは鏡獅子をして、父が鳴神をしたんですけれども、その時もやっぱり、ちょっとした工夫はあったんですけれどもね。日本でやる形としてみれば、ちょっと違うんですけれども。そんな形で、今回のカーネギーホールの「鏡獅子」は務めたいなと思っております。

海老蔵さんといえば、日本の伝統芸能を海外に伝える代表だと思うんですけれども、日本の伝統芸能を海外に伝える意気込みと言いますか、思いがありましたら聞かせてください。

市川海老蔵

講演会でインタビューに答える市川海老蔵さん(写真提供:日本クラブ)

海老蔵 日本の伝統文化って非常に独特なんですよね。島国ですから、その、他の文化が入って来なかったんですよね、純度が高いものなんです。国民性でいうと日本人だけ。そういった部分が、アメリカっていういろんな方が暮らしてる、もしくはロンドンもいろんな方が暮らしてる、そういうところでやるっていうのは非常に私としては、ある意味、どういうふうに観てくださるのかって非常に楽しみなところなんで。先ほど申しましたように、日本の文化、っていうのはやっぱり何もないところに余白を楽しむ深み、味わい、っていうのがあると思うんですね。お茶でも間をみていただく感覚、花でも生ける時の呼吸だったりとか、そういうようなもの、やっぱり日本人ならではのもの、だと思うんですよね。でもどんな国でもちゃんと伝わると思うんですよね。そういったものをやはり日本人であるわれわれが、お能にしてもお狂言にしても歌舞伎にしても、その静けさ、間合いを楽しんでもらえればなというふうに、やっぱり日本の文化の一番の難しいところなんですよね。それを伝えたいなあと思っています。

今回の公演は一日だけの公演なんですけれども、今後またニューヨークで公演される可能性はありますか。

海老蔵 そうですね、可能性はあるんでしょうね。今回はどういう形になるか、分かりませんけれども、ゆくゆくは私も團十郎を襲名する時が来るはずですから、團十郎を襲名する時にはやっぱり父がメットでやったように、私もその、團十郎になる時にはニューヨークに来たいなあと思ってますんで、今日時間があったらメットもリンカーン(センター)の方も、見に行きたいなあって思ってますんで、必ず、ニューヨークでは歌舞伎の公演を続けていければいいなあと思ってます。でもまあ、やっぱり(ここは)進んだ街なので、そこに戦うカードっていうんですか? それをやっぱりちゃんと吟味していかないと、全く意味のない公演になってしまうんで、まずは初めて来たということで古典。お狂言もお能も歌舞伎も古典を観ていただくということで。でもそのあとはね、古典だけでは戦えないのではないかと思ってるんで、戦える姿勢をちゃんとつくって、ニューヨークにまた来れることがあるとすれば、乗り込みたいなと思っています。

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