〈コラム〉「観の目」を鍛える

0

丸山敏秋「風のゆくえ」第15回

宮澤賢治は不思議な人物である。
昨年の「3・11」大震災の翌月、岩手県花巻市に泊まったとき、頻繁に余震を感じながら、そこが賢治の故郷であることを思った。彼はなんと、三陸地方が大地震と大津波に襲われた明治29(1896)年に生まれ、同じく三陸で大津波が発生した昭和8(1933)年に没している。
誰もが知っている「雨ニモマケズ」は被災地で繰り返し朗読された。昨年11月9日にニューヨークの「クリスティーズ」で開かれた絵画のチャリティー・オークションでも、俳優の渡辺謙による「雨ニモ…」の英訳付きの朗読を聞いた。なかなかの迫力だった。
「どっど どどどうど どどうど どどう」
これは宮澤賢治の名作『風の又三郎』で、又三郎が出現するときの音だ。賢治はこのような擬音語を作り出す達人で、生まれながらに不思議な能力を持っていた。常人には見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる。さらに眼で見たものは耳から聴いたように、耳から聴いたことは眼で見たように感じ取れたという。精神病理学ではそれを「共感覚」と呼ぶ。
特殊な感覚を存分に働かせて、心に浮かぶもの(心象)をスケッチしたのが賢治の詩だ。そして幻想的な童話をたくさん書いた。しかし生存中に出版されたのは『春と修羅』『注文の多い料理店』の2冊だけで、不遇のうちに世を去った。享年37。画家のゴッホ、詩人のランボオと同年齢である。みな「天才」だった。
筆者は最近ようやく「宮澤賢治の幻視力」と題する論文を書き終えた。異次元世界に飛び込める賢治の、狂気にも似た能力は魅惑的である。異次元には死後の世界も含まれ、彼はそこでの幻視をもとに『銀河鉄道の夜』を書いた。あるいは鳥獣や草木とも心を通わせられる「ひとつながりの命の世界」に参入して、〈世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない〉という思想を奏でた。
宮澤賢治のような天才には遠く及ばないとしても、「見えないものを見る力」を磨き高めたいものだと、論文を書きながら思った。怪しげな霊能力を開発したいのではない。物事の本質や世の中の動きを見透す「目」を養いたい、ということである。なぜなら、われわれは、五官で捉える世界に囚われ、欲得に振り回されて、右往左往する毎日ばかり送っているからだ。
もともと「見」の字は、見えないものを見ることを意味した。そのような目を宮本武蔵は「観の目」と呼んだ。目先の物事に一喜一憂せず、心を静かに穏やかに保って、そこに映るものをキャッチするのだ。
リーダーたちが「観の目」を鍛えれば、世の中はもっと良くなるだろう。まずは欲得を減らすことだが、それがなかなか難しいのである。
(次回は7月14日号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

過去一覧

Share.